「ふたりぼっち」


 ふれたい。

 ふれてみたい。さわりたい。

 粉雪みたいに白く、陶器のようになめらかな肌に。すぐさま壊れてしまうほど脆く儚い夢のように願った。揺れる花のように笑うその頬を、見つめられると息が詰まる大きな瞳を、赤子のような小さな手を。

 ただ、そばにいれるだけで、見ているだけで満足していた筈なのに。
 だきしめてみたい。抱き寄せて、ぬくもりを感じて、失う冷たさを知っていてもだきしめてみたい。傷付くのは承知の上で指を伸ばし、触れる直前で、

 恐れているのは自衛策なのだとはたと気付く。指が一瞬引っ込むのは知っているからだ。そして誰にもふれられることなく、抱きしめられる事無く、卑しい魂の行く末はひとつなのだと知らしめなくてはならない。


 チヅルは大きな瞳をトキに向けて、大輪の花を咲かせた。チヅルが笑うだけで空気がほんわかと暖かくなる。トキは自分の指先を蔑視してから踵を返した。なにをしようとしているんだ、俺は。いつも通りの無表情で平気な顔をして夕食の支度へ向かうトキの服の先をちょい、と摘み、あのね、とチヅルは切り出した。まるで赤子に言い聞かせるようにゆっくりと、少しだけ照れくさそうに。

「まだ、だいじょうぶ」

 そうやって笑って言えば、トキは頷くしかないのに。けれど頷いてくれるのはトキじゃないのに。ぐるぐると脳裏に様々な憶測が飛び交うけれど、チヅルの前では何もかもが無意味だ。チヅルは打算をしないから、とても自分がみっともなく思えてしまうんだ。

「俺は駄目だよ」
「だめじゃない、トキはぜんぜんだめじゃない」

 もしもトキがもっと自分に関心があって、巧く生きる事が出来て、他人の前で作り笑顔をするような余裕があって、嘘を吐けて、ふつうに恋なんかして、トキがもしもそんな人間に生まれる事が出来たのならチヅルに少し反論なんて出来たのかも知れない。だめじゃない、なんて言うのはチヅルだけだよ、とか。

 けれど残念ながらトキがチヅルの傍にずっと居られる為にはそのすべてが不要だったので、他人から得られる好感などどうだって良かったトキは言葉に詰まってしまった。好かれても嫌われてもいい、ただ、そばにいられれば。

「だいじょうぶだよ、トキ」
「そうかな」
「今度は、へいき」

 吸い込まれてしまいそうな大きな瞳にそう言われて、チヅルが小さな体を寄せてきて、こんな小さな体に抱き締められてしまったトキはチヅルのピンク色の髪を撫でた。棘だらけになれば誰にも触れられないのだろうか、トヲコさんみたいに。そうやってぬくもりを排他していけば冷たい身体が精神を支配するのだろう。

「今度はまちがえないよ」

 でも俺は大丈夫。俺にはチヅルが居るから。
 ふれてみたいと思える相手が居るから。

「ありがとう、チヅル」
「じゃあアイス食べたい!」
「もうすぐ夕飯だからアイスは駄目だよ」

 前にトヲコさんが俺達二人を見て、ふたりぼっちダ、とつぶやいたのを思い出した。その時はむしゃくしゃして文句でも言っていたのかと思ったけれど、ふたりぼっちで生きられるならば、行ける所まで行ってみようと思えたのだから、あれはトヲコさんなりのエールだったのかなと解釈した。

 もしそれが唯の悪口だったとしても、何故だかその言葉の響きだけで充分な気がした。



「トキはあたしたちが人間でいるための弱点でね、きっとトキが居なかったらあたしたちは化け物になるのよ」
「本人が気付いてないってオチは悲しいな」
「トヲコさんにはもう居ないもの。だからトヲコさんは、」



(09/07/26)