「色褪せた空は黙る」




うれしや空も晴れわたり




 他人がその特異な才能に気付かなければ、彼は一生を棒に振るような事態には陥らなかったのかも知れない。少なくとも彼を責め立てる人間の三分の一は減っただろう。噂は尾びれ背びれをつけて優雅に泳ぎ出した。彼もそれを見、「何処迄行くのか見物だな」。と言った切りだった。彼の名前は金糸雀と言うが、誰もが彼の事を王子と呼んだ。王子は酔狂な事が好きだった。例年にも増してその年は寒波が続いた。

 警備兵が忙しなく動き回る中、王子は読書に熱中していた。
 何でも城の中に侵入者が居るとの話で、皆が王子を護る為に動いていたのだが、当の本人は対して興味が無い様で読書に精を出していた。碌でもない知識を蓄えてるのは目に見えた。だがもし王子に怪我でもされたら、それこそ暗殺でもされたら! 等と考えると限が無いので王子を早々に避難させたい所なのだが、王子は暗い書物に囲まれた部屋から一向に動こうとしない為に、警備兵はガチガチにその部屋を固めた。

 侵入者が来ても平然と構えている王子は、矢張り変わり者だった。「邪魔する奴は獣の餌にしてやる」、と場違いな事を言ってのけ、読書に没頭していた。文字を目で追えば、目の後を文字が追ってくる。王子の眼を文字が狙っているのだ。だが奇特にも王子は対処の術を知っていた。文字の虫を抑えるには火が有効とされている。書物が燃えてしまう程近付けたランタンに脅える様に文字が小さくなる。王子はそれが愉快だと笑った。そうして本から得た知識に満足すると、警備兵の横をあっさりと抜けてその儘外へと飛び出してしまったのだ。これには兵士全員が驚き、王子を何とか止めようと必死に成ったが、王子は相変わらず飄々とした様子で、「餌になりたいのか?」、と問う。王子の頭の中には「侵入者」の三文字が存在していないのだろうか。

 中庭に出た王子は空を見上げ、呟いた。
「寒いな。鼻水も凍っちまいそうだ」
 だが、好い。寒いのは嫌いじゃない。沢山の薪と沢山の炎を必要とするが、それでも尚寒さを届けてくれる空が何より好きだった。王子は知っていた。王子に関する様々な曰くつきの噂。王子の母君が目覚めないのは王子が呪いをかけているからだ。国王が失踪したのは王子の手に因る陰謀だ。そんな良くない噂が広まっても、王子は顔色ひとつ変えなかった。それどころか、軽薄な笑みを浮かべながら、「次はどっから責めてくるつもりだ?」、と迄言ったのだった。これには家臣も皆驚いた。
「精々捕まんないでくれよ」
 王子は口角を奇妙に吊り上げながらそう言った。その言葉を誰が聞いたのだろうか。王子直属の警備に当たっている筈の人物でさえ、王子には半径五メートルには近付くな。と王子本人から指示されているのだ。これには皆困った。どうすれば王子を護れるのだろう。それどころか王子は死にたがってるのではないのか? そんな憶測さえ飛び出してくるのだ。定例会議から王子の話題が消え去る事は無かった。



それさえ深き悲しみの




「王子様、侵入者を捕らえました」
「何だ、つまらん」
「王子様!」
 そんな一喝等対して興味が無さそうに王子は大きな欠伸をした。捕まったのか、何だつまらん。もっと楽しましてほしかったのに。王子のそんな物騒な心中等構っていられない兵士達は、城の警備をもっと厳重にするよう話し合った。恐らく王子暗殺の為に遣って来た侵入者は牢獄に入れられ、今は鎖で繋がれている。其処迄説明すれば王子は恐らくその侵入者で遊び始めるだろう。なので兵士はその先の言葉を胸に閉まった。
「王子様、お食事は召されていないので?」
「爺、毒入りの料理はおまえの趣味か。中々良い趣味だと思うがな」
「毒見係はどうされたので」
「死んだよ」
 毎日毎日王子の元に届けられる毒入りの料理は、毎日毎日毒見係に因って明らかにされ、飄々としている王子の目の奥には毒見係が死ぬ現場ばかり映った。だが人一人死んだ所で王子がどんな反応をするのかと問われれば、ハッ! と噴出す様に笑うだけなのだ。そして王子は毒見係がその命を以て明らかにした毒入りの料理に口付けながら、鮮やかに笑った。
「毒は効かん」
 誰もが止める前に王子は致死量の毒が入っている肉を口にした。
 その儘ぺろりと平らげてしまったのだ。美味しそうに、完食してしまったのだ。食事係も驚き、兵士も驚き、王子は平気な顔をしている。「少し苦えな」。王子の猛毒に対する感想はそれだけだった。
「俺様を殺したきゃ、もっと腕を上げるこったね。この程度で死んでたら身が持たねえよ。――嗚呼、それからそれから。侵入者だっけ、俺を殺したがってる馬鹿。連れてこいよ。直々に相手してやるから」
「王子様!」
「なァに、殺しゃしねえよ」
 それに殺すならもっと楽しい方法で殺さねえとな。王子はそう続けて言って笑った。皆の背筋に冷たいものが走った。この男は誰が死のうが関係無いのだ。自分が死ぬかも知れない場面でも緊張の一つもしない、極悪非道な男なのだ。そして、王子は自室に戻った。食卓の上にはナイフの突き刺さったパンが置いてあった。垂直にナイフが突き刺さっていた。

「ねえ、アタシ知ってるわ。アンタ達は知らないようだから教えてあげましょうか? この国の王妃様が目覚めないのも王子の所為で、国王が居なくなったのも王子の所為だわ。今年の流行り病も王子の所為だし、この尋常じゃない寒さも王子が遣ってるんでしょ? 王子には毒も効かないって言うじゃない。王子ってば人間じゃないのよ。きっと悪魔か何かだわ。悪魔が人間に化けてるのよ。ねえ、そうなんでしょ?」



いにしえを待ち侘びて




 この国に居るあらゆる人間に頼ったが、遂に王妃が目覚める事は無かった。
 病気でもなく、呪いでも無かった。有り得る要素は全て取り除いたが、王妃は目覚めなかった。それは嘆くべき事では無かった為に人前でその話をしなくなれば、王妃が目覚めないのは王子の所為だ。と結論付けられた。ならばそうなのだろう。と話を終えて、噂好きの女達の元を離れた。

 腫れ物に触るかの様な態度を取られるのはもう慣れっこなので、今ではそれを生かして毎日過ごしていた。快適だがいつも物足りなさを感じていた。試しにこの間書物で読んだ魔法を唱えてみるものの、それも暇潰しには物足りなかった。腹は足りている。今先刻食事を終えた所だ。夕食の毒見係も死んだ。もう自分には毒が効かないと分かっているのだからそんな余計な真似はやめてさっさと掛かって来い。と思うのだけれど、それを口にした所で何かが変わる兆しすら見えない。己の能力では足りないと自負しているのだから毒を使うのだ。余計な手間隙が増えるだけだ。

 今でも覚えている。「在るんですよ」。
 可笑しな話かも知れないけれど、あれは聡明な術者だったのだろう。視る事しか許されていない為能力の制限はあるものの、特別な使い方のみ許されているのだから良いものだ。「在るんですよ、実際に」。王妃に下された判決の様な言い分はそうだった。初老の術者は前例が無いと騒いでいたが、刃で脅せば直ぐに従った。誰だって自分の命が惜しいのだろう。その言い分は良く分からない。別に今死のうが明日死のうが、どうだって良いからだ。「在るんですよ」。術者は言った。何度も何度も繰り返し、壊れたレコードの様にその言葉を繰り返した。「視えずとも此処には、在るんですよ」。その後術者は死んだ。

 王妃は遂に目覚める事が無かった。



平和、平和と啼くのです




「ねえ、アタシ知ってるわ」
 牢の見張りをしている兵士はうんざりした顔付きで女を見下した。
 この手の話は聞き飽きているし、女の声も聞き飽きた。なのに女は又同じ言葉で話し始める。「ねえ、アタシ知ってるわ」。見張り番はそれが呪いの言葉に聞こえてきた。まるで催眠にでも掛かっているかの様に朧げな頭を持ち上げて、女を見る。
「この王国って、月が割れるんでしょ?」
 何だそんな事か。見張り番は問いに答えるのも疲れ切っていて、最早その単純明快なる問いに答える事すらしなかった。だが女は続けた。
「月が割れて、生み出されたものを王子が食べるのよ。だから王子は死なないの。毒を盛られても他人に刺されても王子は死なないの。だから月が割れなければ王子は死ぬのよ。でも月を割ってるのは王子自身なんだわ。月が割れた時に堕ちてくるものをアタシが食べればなんて素敵な話なのかしら!」
 爛々と輝いている筈の瞳は寒さの余りどんよりと曇り、その話を聞いている兵士もどんよりとした影を背負っていた。この女の話は聞き飽きた。王国では当然の話なのだから、今更その事に関してどうこう言う方が可笑しいのだ。月は割れる。月が割れた時に生み出されるものを王子が食べる。それは習慣染みている。国民の全員が知っている。なのに女は自分が見つけた大発見の様な口振で話を続ける。そんなの皆が知っている。
「そうよ。そうすればアタシは死なないわ。でも王子は死ぬ。だって食べれないんだものね、アタシが先に食べちゃうから! 完璧。完璧よ。撃っても刺しても死なない王子がこんなに簡単に死ぬんだから何でもっと早く誰かが遣らなかったのかしら。そうすれば王妃様だって永遠の眠りに着く事も無かったのよ。どうして皆王子を庇うのかしら、訳分からない。王妃様が目覚めないのは王子の所為なのに!」

 月は割れる。王子の為に。
 月は生み出す。王子の為に。
 それを王子は食し、王子は死なない身体を手に入れる。だがそれが何なのかは誰も知らない。知っては成らないのだ。月が何を生み出し王子が何を食らうのかは知っては成らない。それはこの国に居る誰もが知っている話だった。だから誰も追及しない。だが現に目覚めぬ王妃が居、失踪した国王が居る国は、王子のみの政治で動かすのは不可能だった。だが国は動く。動かねば成らない。王子が居るからだ。王子に因って政治は動く。酔狂な事が好きな、死なぬ王子が居るからだ。

「そう、俺の所為。他には?」
「王子様!」
「アンタが王子。ふうん。ねえ、アタシ知ってるわ。月殺しの金糸雀! 馬鹿な国ッ!」

 昔術者が言った言葉。「在るんですよ」。
 一体どちらに言った言葉なのかはもうさっぱり分からない。死なない王子に言ったのか、目覚めぬ王妃に言ったのか。何故なら術者はあの後直ぐに死んでしまったからだ。何が在るのか、未だに分からない。王子は胸の奥に言霊を秘めながら、鎖で繋がれている女を見て、にっこり。と微笑んだ。
「正論だ。確かにこの国は馬鹿で阿呆でくだらない」
 カチリ。
 奇妙な音がして、鍵が落ちた。
「狂ってんだ。おまえとは気が合いそうだ」
 牢の見張りをしていた兵士は心臓が飛び出るかと思った。だが王子に反論は許されなかった。王子が牢獄から出すと言えばどんな罪人だって出すのだ。煮るなり焼くなりは王子の一論だ。だから反論は許されない。反論すれば、それが正論だろうと何だろうと次の日には晒し首に変わり果てるのがオチなのだから。王子は女を連れて牢を後にした。こうして二人は出会った。



あなたのために、さよならの涙を




「……何食べてるのよ」
「納豆。」
「これは?」
「豆腐」
「…………これは?」
「胡麻」
「アンタ、何遣ってんのよ」
「政治」
 女の名はウタと言った。歌とは発音が違うようで、ウの部分に力を込めて呼ぶらしい。だが王子にはどうでもよい情報だった為に、女の名を呼ぶ事は無かった。ウタは初め憤りを感じていたが、王子に通された部屋は意外にも整っていて、清潔感が溢れていた。隙あらば王子の命を奪おうとしていたウタは、自分に対する王子の意味不明な行動の数々に段々と眉間に皺が寄せられた。王子は一体何がしたいのか。何をする気なのか。何も分からなかった。視界に留めている筈の王子の姿が何故か透明だ。

「ねえ、アタシ知ってるわ」
 ウタは部屋に置いてある枯れない花と散らない葉を触りながら、王子に言った。
「月を割る方法は王子だけが知ってるの」
「そう、俺だけ。門外不出。他にご質問は?」
「でも分からないのは、」
 一生歳をとらない雛鳥に、腐らない果物。この部屋は時が止まっている。ウタは興味深そうに色々歩いて回りたかったが、生憎手首にも足首にも鎖が絡まっていた。王子は敢えて鎖を取る事はしなかった。王子は飄々とした態度を取っていたが、隙は一度も見せなかった。王子は溶けない氷に濁らない水を入れながら、ウタの行動を監視していた。
「どうして月を割るの?」
「割らなきゃ死んじまう」
「どうして死なないの?」
「月の副産物を俺が食ってっから」
「どうして、」
「知ってる。と豪語した割には質問の数が多いな」
 ウタは掻き混ぜようが泡立てようが濁らない水を前にして、きゅうと口を噤んだ。そう、知らない事は多過ぎる。と言うよりも王子が知っている事の方が多いのだ。どうして。この国では当たり前の事がウタには理解出来なかった。どうして誰も疑問に思わないのだろう。月を割るのは可笑しい。月が生み出すものを食べている王子はもっと可笑しい。撃っても刺しても死なない王子はもっともっと可笑しい。なのに誰も疑問に思わない。それがこの国の可笑しい所だ。王妃が目覚めないのは王子の所為で、国王が失踪したのも王子の所為で、月を食らっているのも王子なのに、どうしてそれが噂如きで済んでしまうのだろうか?
「――アタシの国はとっても小さくて、それこそ今日生きていけるか分からない位貧しい国だけど、王様は月を割るような事はしないわ。王妃様だって慎み深く生活してるわ。此処は可笑しいのよ、普通じゃないわ」
「そう。国は狂ってて其処に生活してる奴等も気狂いだ。水は嫌いか?」
「気を遣うの?」
「社交辞令。飲めよ、んで死ね」
「死ぬのはアンタの方よ!」
 王子が居なければ国王は居る筈だ。王子が居なければ王妃は目覚める。そして国はあるべき方向へ導かれる。月は割らないで済むし、王子が居なければ万事解決だ。此処で王子を殺せば皆正しい道を見つけられる。王子が居るからいけないのだ。王子は災厄を呼び込む悪魔だ。人間の姿を借りた小利口な悪魔だ。

 泣き言を言う奴は好きじゃない。お涙頂戴の話も好きじゃない。感情の儘に行動するのは見ていて愉快なので嫌いではない。だが何故ウタが泣くのかは理解出来なかった。ウタが泣く姿を見ながら何となく思い出した。「在るんですよ、実際に」。手足に鎖を付けた侵入者で罪人のウタは明日殺されても可笑しくなく、今獣の餌にされても可笑しくない状態だった。王子自身、この後ウタを処刑しようとしていた。一時、馬鹿な女の話でも聞いてやろうと考えたのだ。死ぬ直前の目は嫌いじゃない。死を受け入れようか受け入れまいか悩み抜いた挙句、答えを出す前に首を落とされるか焼かれるか魔力を奪われるかどれかで、全て思う通りにはいかない。と言う教訓が目の前で立証されるのだから。ウタは何故泣くのだろう。死ぬのが怖いからなのか、それとも。「在るんですよ」。術者の言葉を何となく思い出した。泣きじゃくるウタに当て嵌めながら王子は濁らない水を口に含んで、それから血を吐いて倒れた。



唄を忘れた金糸雀は




「やっべー」
 ウタの叫び声で城中の兵士が集まった。王子は直ぐ様立ち上がると、扉を開けて入ってこようとする兵士に手を突き付けた。
「そっから一歩でも入ったら即死刑な。後口答えしても死刑」
「で、でも王子様っ!」
「ハイおまえ死刑。」
 死刑判決を下された兵士は已む無く口を塞ぎ、壊れた人形の様に叫んでいるウタに王子は向き直った。王子はたった一言、「黙れ」。と言った。呪いの言葉の様だった。ウタは場違いにも、何て綺麗な顔をした人なのだろう! と王子に対して感心してしまったのだ。王子の顔は透き通っていて、まるで血の通ってない人形の様で、声が発せられるのも誰かが動かしているからだ。と何気無く感じた末に、有り得ない。と結論付けた。

 王子が舌を軽く鳴らすと雛鳥が好い声で鳴いた。鳴き声に合わせて何かが天井から降ってきた。雪の様な、真珠の様な、儚いもの。
「――……、なにこれ……」
 ちらちらと照明を反射して光る雪の様な物体は、王子の上に被さる様に舞い降りた。ウタは一気に体感温度が下がるのを感じて、此処は雪国の様な錯覚に陥った。雪国の中で人形の様な顔をした人間が真っ赤な血を吐いている。それは奇妙な体験だった。これ以降ウタがこの場面を見る事は無い。それは王子の作為的な行動に因るものだった。それをウタは知らなかった。ウタははっとして言う。「ねえ、アタシ知ってるわ」。
「今アンタ、月を割ったのね」
「だったらどうする?」
「窓……窓は何処、よ……、うわっ、鎖掴まないでよ!」
「見るもんじゃねえよ」
 見るものじゃない。あんなの人間が見るものじゃない。人間は美しいものを見ていればいいんだ。そう王子は言う。だがウタはそれが理解出来ない。興味あるものは見たいし、見て満足出来ればそれは大変良い事だ。見てはいけないものなんて、無いのだ。この目は物事を見る為にある。見据えて考える為に脳がある。それを用いないのは愚か者がする事だ。だからアタシは見る。とウタは言う。だが王子はウタが月を見るのを止めた。鎖を掴み、ウタには触れなかった。
「止めたきゃ、自分の手で止めなさいよね!」
「無理だと思うぜ」
 月を割る方法は王子だけが知っている。他の人間には門外不出。だが誰から始まったかは誰も知らない。月が割れるのは当然だと思っている。そして月を割れるのは王子だけなのが当然だと信じている。月を割れた時に生み出されるもの等誰一人知らない。今迄は。今はもうウタが知っている。ウタは月が割れた時に生み出されるものを知った。だから王子はウタを殺すべきだと思っていた。だがウタは割れた月を見たくて堪らなかった。鎖を王子に掴まれていても窓を目指した。割れた月を見る為に、降り積もった雪を掻き分けて。
「俺が触ると、」
 ウタは窓まで辿り着いた。其処から月を見上げた。
 息を呑んだ。今迄見た事の無い景色が広がっていた。
「この手で触ると、止まっちまう。命だろうがそれを司る時間だろうがな」
「……ねえ、アタシ分かったわ」
 どうして月が割れるのか。どうして月が生み出すものを王子が食べるのか。どうして国王が失踪したのか。どうして王妃は目覚めないのか。そしてこの部屋に降り積もった雪の様なものの正体は。ウタは時間の止まった部屋をぐうるりと見回して、それから人形の様に凍り付いた王子の顔を見た。初めて王子の顔を間近で見た気がする。目の奥には絶望が宿っていた。救いようの無い絶望が、雪の様にしんしんと積もるのを知り、ウタは言ったのだ。「アタシ、分かったわ」。たがウタの知り得た知識は王子に宿る絶望のほんの一部にも満たなかったのだ。何て可哀想な人! いいえ、違う。可哀想だなんて言うべきでは無い。そんな言葉はまやかしだ。王子は皮肉そうに笑いながら言った。
「寒いな。」



月夜の海




 例年にも増してその年は豊作だった。
 病原菌も流行らなかった。その為に死者も少なかった。
 健康的な作物は健康的な人間を育て、冬を越す準備も着々と進んでいた。警備兵は寒空の中、必死に手を温める仕草を繰り返しながら、又ほう、と白い息を吐いた。
「職務怠慢、結構結構。」
「王子に知れたら殺される」
「王子は獣で遊ぶのが好きだからな」
 でも、まあ、最近は。同僚の兵士に言われて納得した。王子の周りには最近奇妙な女がうろついていて、事ある毎に王子の言動に対して何か述べるのだ。それも兵士達には到底口に出せない様な憤慨の台詞や罵倒の言葉。「又アンタはそんな事遣って、馬鹿じゃないの!?」。そんな事を言われても怒らない王子は寛大だ。と曲解して王子に尊敬の念を送る兵士も居るが、女の食事に毒を盛ってる張本人は王子だったりするのは笑えない事実だったりする。王子はとことん人で遊ぶのが好きなのだ。
「この、なんだ……寒さは、王子の遊びか?」
「だろうな。やっこさんは『雪が見てえな』って言ってたよ」
「実行しちまうのは王子だろうな」
「そんな王子に訃報だ」
 果たしてあの王子に訃報等届くのだろうか。と腑に落ちない事を考え出したらキリが無く、王子は相変わらず我が道を行っているし、女の見えない所ではしっかり悪事を働いたりしているし、王子は馬鹿でもなければ間抜けでもなかった。賢いし力もある。だからあんな女一人排他するのにそう時間は掛からないだろと踏んでいたら、案外王子と女の不思議な関係は長く続いている。因縁と呼ぶべきか。
「とある小国から、縁談を申し込まれたって話だ」
「……王子が結婚?」
「王子の周りで何かしてる女は実はお姫様。って噂があるんだが、ホントかね」
「嘘だろ。王子に限ってそんな、」
「騒がしくなりそうだな」
 もしそれが本当ならば国同士の問題に迄発展するのだから大変な話だ。元よりあの女は侵入者として捕らえられたのが始まりであり、そんな侵入者が他国の王女だとすれば大変な話なのだ。身分が相応なのか不相応なのか考えられないが、兎に角あの王子が結婚だなんて王妃様が目覚める事以上に有り得ない話なのだから。酔狂な事が何より好きで、他人が死のうが自分が死のうがどうでもいい男に、妻等有り得るのだろうか。否、有り得ない。同僚との話は其処で終わった。確かに王子にとっては訃報の他無い。もしかしたらあの我が道を行く王子が悩む姿等見れるのだろうか。そんな事を考えた。

 有り得ない。ウタは頭を抱えながら一報を聞いた。
「お父さん、お母さん……、ウタは売られたのですか……?」
「おまえの国は売名国だな」
「あっさり人の国を侮辱しないでよ! それから何焼いてるの?! すっごい臭い臭い臭い焦げてる! 料理出来ないなら出来ないなりにどうにかしなさいよ、駄目な男ね」
 フライパンにねっとりと粘着いた物体を王子は焼き付けながら、エッセンスを華麗に振り掛けた。糸を引いている。一体何を焼いたのだろうか。王子とウタの奇妙な関係はやがて国同士の問題に発展している事を王子は知っているのだろうか。王子は燃え盛る炎を手で消してから、皿に物体を盛り付けようとしている。フライパンに引っ付いて離れない。
「それ、食べるの? 本気で食べるの? アンタ、魔法のセンスはいいのにね……、あと顔も。……性格は駄目ね。物凄く破綻してるから駄目ね。此処迄放置してた親の顔が見たいわ」
「おまえの親程じゃねえよ」
「屈辱だわ……ッ!」
 ウタは食事係が持ってきてくれた食事を丁重に断った。恐らく多分絶対間違いなく王子の魔の手が伸びているから。まったく、王子は殺したいのか殺さずに置いておきたいのかはっきりするべきだ。とウタは思っていた。全く王子の気持ちが分からない。結婚の話が持ち上がっても顔色一つ変えずにうんともすんとも言わない王子の気持ちが理解出来ない。寧ろこの男の気持ちを理解しろ。と言う方が難問なのか。幸いにも王子はウタがどんな酷い言葉を言おうともウタを叱ったり怒鳴ったりしなかった。唯単純に関心が無いだけ。とも取れる行為に、ウタは複雑さを隠せない。だがそれならば何故食事に毒を盛ったり時偶刺客を向けたりするのか。王子は酔狂な事が好きだ。ウタは絶対遊ばれている、いつか見返してやる! と腹に決めて、フライパンと粘着いた物体と格闘している王子に叱咤の言葉を投げ掛けるのだった。


 寒い寒い夜、月が割れて、生み出されたものは、はらはらと儚く舞った。
 濁らない水にそれはそっと寄り添う様に浮かび、沈殿してゆく。深い深い海に沈む様に、割れた月を映しながら底迄堕ちた。そうしてそれを王子は食す。



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2006/12/16