「狂い咲きの花曇」




花のように、笑う。




 ウタは何百段目か分からない石の階段を踏み締めた。息が白くほう、と吐いて手を温めた。自分がもし魔法使いだったら、と時偶考える。考えるだけで練習しようとは思わないし本当に魔法使いに成りたいとも思わない。自分の生まれた国では魔法使いが出没するのは滅多に無かったからだ。自分がもし魔法使いなら、寒い時に魔法をちょいちょいっと唱えて火でも燃やして体温を高めるのに。ウタは寒さで身震いしながら尚も階段を上る。足がかちこちに固まってしまいそうだった。

 塔を見つけたのはウタが侵入者としてこの国に乗り込んできてから一月経ったある日だった。寒い朝晩が毎日続き、最早王子が興染みて陽に魔法でも掛けたんじゃないだろうか。と噂が軒を連ねる程寒々とした日々が続いた中、不意に差し込んだ太陽の光に目を眩ませ、国が一望出来る窓に心許無く近寄った際に発見した。国の中心部からは大分反れた場所に立っていた為に気付かなかった。石で作られた塔は今にも凍りそうに不思議な威圧感を伴って立っていた。ウタが興味を示すのは時間の問題だったが、王子は相変わらず整った顔をウタに向けるのみで、それ以上話そうとしなかった。
 三月経ったある朝、ウタが瀕死の状態で発見された。如何やら魔力に中てられたらしい。元より魔力保有が盛んな国だ。一般人でも頭痛がしたり眩暈を起こしたりするのに、とびきりの魔法使いである王子の傍に居て魔力に中てられない方が可笑しな話だった。その為、王子は国の術師を呼び寄せ、ウタの身体に蓄積した魔力を流す作業を行った。その際術師が死んだが王子は淡々とした様子で事の次第を見据えていた。後にその工程を聞いたウタは魂が口から飛び出さんばかりに驚き、引っ繰り返らんばかりに憤怒したが、自分の命が救われただけに文句の一つも言えずして王子から距離を取った。王子はと言えば人形の様に精巧に整った顔を無表情にウタに向けるだけで、王子とウタの距離は益々広がった。その頃にはもう王子とウタの縁談等露知れず、感情の一切を排除した王子と感情の儘に行動するウタには溝が出来つつあった。

「王子が塔の事をアタシに言わなかったのは其処に何か隠しものがあるからよね。人は何か隠したい事がある時は話を早く終えるものね。それか不自然に成るか。王子は無口で淡白だけどアタシが塔の事を聞いた時は違和感があったわ。今に見てなさい、ぎゃふんと言わせてやる!」
 王子がぎゃふんと言うとは到底思えないが、兎に角ひとつでも王子より上回った知識を得たいウタは大股歩きで階段を上っていた。いつもいつも無視されたりからかわれたり碌な対応をされていなかったウタは相当王子に対して恨み辛みを沢山抱いている様で、憤激の余り喚き散らす事も多々あったが、それさえも王子はさらりと流してしまうので余計にウタは下唇を噛み締めて云々唸るのであった。
「目指すは形勢逆転よ。いつもいっつもいーっつも見下されて黙っていられるもんですか!」
 わざと大きな音を出して階段を上る音を大きくしながらウタは鼻息荒く拳を握り締めた。塔に出向くのは禁止されていたが、禁止された所で辞めるなら初めから挑戦しようとは思わないものだ。夜間そろりそろりと城を脱出し兵士に見つからずに塔に近付く事等簡単に思えるが、一切の武力行使無くしてそれを達成するには骨を折る。其処で又思う。「魔法使いだったら簡単なのに」、と。

 最後の階段を上りきった時、ウタは頭に血が上り過ぎて卒倒しそうに成った。酸素が脳に届いてない気さえした。息荒く何度も深呼吸を繰り返すが、口から入ってくる空気はどうも勝手が違う様でウタは疑問に思った。何故塔へ行くのは禁じられているのか知らなかった。「何」が其処に居るのか知らなかった。唯興味を持ったからそれを実行に移しただけだった。ウタの基準は至って簡単だ。見たいものを見て、知りたいものを知る。興味あるものは見たいし、見て満足出来ればそれは大変良い事だ。見てはいけないものなんて、無いのだ。この目は物事を見る為にある。見据えて考える為に脳がある。それを用いないのは愚か者がする事だ。だからアタシは見る。とウタは考えた。だから其処に「何」が居ようとそれを知る権利が自分にはあるのだと論じた。それに何か王子が知らない秘密や何やらを持ち帰って王子に一泡吹かせようと企んでいたのである。
 木のノブは触るとミシッと軋んだ。意気込んで最初の扉を開けると壁一面本棚。次の扉の中も本の山。反対側の扉も本が散乱している。本棚に入り切らない本が床にばら撒かれている。
「本ばっか……」
「勝手に触るなよ、文字の虫がどっか行っちまう」
「だ、だれ?!」
「おまえこそ。人のテリトリーに勝手に入るってこれ、違法だぜ? 煮るなり焼くなりされても文句言えねえぞ」
 一番奥の部屋から出てきた人物にウタの身体は驚きの余り縮み込みそうになった。眼鏡を掛けた青年は王子とそっくりな顔をしていた。否、雰囲気は全く違うのだが、顔のパーツひとつひとつが似ているのだ。王子よりも取っ付き易そうな雰囲気はあるのだが、何処か人を寄せ付けない冷酷非道な雰囲気も兼ね備えていた。
「王子の新しいペットか?」
「――ペット?! はあ?! 誰があんな男のペットに成るのよ、友達だって御免だわ! 大体アンタ出会い頭に人の事そんなに侮辱して良いと思ってんの?! アタシはウタよ、ウ・タ! 第一ペットじゃなくて人間だもん。アンタこそあんな男と似たような顔してて、本当は悪魔なんじゃないの?」
「俺、その悪魔の弟。ちなみにおまえが今踏んでるの、禁書だぞ」
 男は雲雀と名乗った。瞬時、その雲雀とか名乗る飄々とした態度の男はにっこりと笑った。王子はこんな事はしない。同じ顔の作りでも笑ったり泣いたり怒鳴ったり叫んだりしない。唯端正な顔をこちらに向けて、絶望を宿した眼を闇に映すだけ。深い深い闇には立ち入る事すら許されず、王子は深い闇の奥で独り波間で漂っている。雲雀は王子とそっくりな顔付きをしながら甘くとろける様な顔で笑った。誰しもこれを一目見たら虜に成ってしまうだろう。ウタも一瞬我を忘れてその笑顔に魅入った。わなわなと肩を揺らし、口をぽかんと開けて、何故か指差しながらその先の言葉に成らない何かを伝えようと一心不乱に脳の回転を促している。



夢のなかでのみはなひらく




「魔法学にエレメント、召喚学に精霊学……、アンタ、マダム・ハリソンでも召喚するつもり?」
 通された最後の一室には簡素なベッドと簡素な机が一つぽつねん、と置いてあるだけで、床には本が乱雑に放り投げられていた。棚は本で埋め尽くされ、ウタは本を踏まない様に注意しながら読める文字を追っていくと、不意に沸いた疑問で頭が一杯に成った。
「マダム・ハリソンって高位精霊じゃねえか。俺はもっと簡単なの呼ぶね」
「古文書迄ある……読めるの?」
「こんな場所だ。読書するしか遊びは無え。古代ハーグルーブ語も独学で学んで大分読めるように成った。ま、王子様に比べれば足元にも及ばねえんだがな。それにしてもおまえは随分魔力質が薄いんだなあ」
 机の上には何度も何度も描かれた魔法陣が紙一面に乱筆されていて、どれもこれも黄色く古ぼけている。彼は一体何時間此処で過ごしているのだろうか。否、何時間と言う単位では無いのかも知れない。とウタは思う。あんな能力を持っている王子が政治を務める国だ。何が起こっても可笑しい事等何一つ無い。
「出身は何処だ?」
「クヴァルダ地方よ」
「あの地方って言やあ魔力供給が滅多に見られない地方じゃねえか。だからおまえ、殆ど魔力を保有してないんだな、魔力濃度も低いし。道理で結界が突破される訳だ。全部こっちの地方の魔力を基準に作ったんだ、嗚呼、俺とした事が何て様だ! おまえあれか、例の侵入者か?」
 ウタは頭の中がこんがらがりそうだった。王子と似たような顔の人間がこれ見よがしに表情豊かに色々な顔を見せてくれる。それも楽しげに言葉を紡ぎながらこちらの反応を面白がって見ている。端正な顔は笑むと花開くようで、見据える眼は美しい宝石の様だった。それがころころと転がる様に変化するのだ。王子と似たような顔なのに、王子とは正反対の反応にウタは魂が口から飛び出そうに成るのを必死で抑え込んでいた。
 ウタがこの国に侵入者として忍び込んでから丸一年が経つ今、この様な質問は稀だ。侵入者と聞けば大体が男として認識するだろう。だが噂好きの女の中で尾鰭背びれを付けて優雅に泳ぎ出した噂の種は、「実は侵入者の目的は玉の輿に乗る事だった」。と言うウタが聞いたら卒倒しそうな話だった。その噂を聞けば誰しも侵入者は女だったのだ。と言う結論に陥るのだが、不思議と雲雀は外の世界の事を何も知らなかった。
「もう一年前の話よ」
「クヴァルダの男は農作業で逞しいって聞くな。魔法使いを選出しない代わりに農作物が盛んらしい。それでも天候に恵まれない地方だから今日のパンで困るって聞いた。どうだ、こっちの国は。住み良いか?」
「アタシにしてみれば贅沢三昧で吐き気がするわ! アタシの生まれた国はちっぽけで貧相だったけどそれでも皆苦労して生きてたの。それがこの国ったら何て事! あんな馬鹿げた王子一人護る為に兵士を何百人も雇って、唯の女一人倒れた位で貴重な貴重な術師を殺してしまうのよ、何て事をしてくれるのかしら!」
「でもおまえは嫌われてない。珍しいな、やっこさん気でも触れたか?」
 クヴァルダ地方では魔力が盛んに行き来する事等以ての外で、それこそ魔力を有した子供が産まれる事すら無く、皆大人に成れば何処か遠い国へ金を稼ぎに行くか、その土地の起伏を生かした農夫に成るかのどちらかの選択を迫られた。それでも悪天候が続くクヴァルダは寒波も長く乾燥時期も重なり、農作物が実り難い地域であった。昔一度だけ魔石発掘者がこの地方に眠る魔石を発掘しに着たが収穫は無く、皆手ぶらで帰ったものだった。その為、ウタが遣って来たこの国で盛んに行われている魔力供給やら魔石発掘やらはウタにしてみれば未体験の感覚ばかりで引っ切り無しに驚いていた。月を割るなんて以ての外だ。それから生まれたものを王子だけが食べる等以ての外だ。
「王子には嫌われてるわよ、アタシ。いつも食事に毒盛られるもの」
「嫌われてねえよ。王子は少しでも気に入らねえ事があればそいつを獣の餌にしちまう。それが下男だろうと女中だろうと御構い無しにな。前にお偉い隣国の大臣が一晩獣の檻に閉じ込められた事だってあった」
「…………それを面白いって言うの?」
「何でもその時は獣の口を封じる魔法を掛けてたらしく大臣には傷一つ無かったが、お陰でこの国は隣国と戦争すらしなくなったぜ。毒盛られるのはあれじゃねえの、おまえの反応が見たかっただけじゃねえの」
「あの王子の傍に居たら命が幾つあっても足りないわ!」
 ウタはヒステリーを起こしそうになる頭を引っ切り無しに叩きながら雲雀の顔を見る。雲雀はころころと表情を変えてウタの反応を心待ちにしている。雲雀が喋ればウタはそれに返す。ウタが問えば雲雀がそれに返す。それが雲雀には面白くて仕方ないらしく、整った口角を綺麗に持ち上げて健康そうに笑った。ウタはその笑みが何処か嘘らしく見えて小首を傾げた。人間味が欠けている気がする。とても大切なものが足りない気がする。
「アンタは魔法使いなの?」
「厳密に言えば違えが、独学で召喚術を多少嗜んでる程度だ」
「ほんと? じゃあ何か召喚して見せて頂戴よ」
「――……おまえほんとに魔力質薄いんだなあ。見えねえのか? この部屋を照らしてる光も魔法だぞ。それに机の上には火の精霊、ベッドの近くでは水と風の精霊が遊んでやがる。ま、此処の結界を突破する程魔力が無かったら見えねえけどな。しかしマダム・ハリソンなんて良く知ってたなあ、高位精霊の名なんてクヴァルダじゃ滅多に聞かねえだろ。召喚出来る程有能な奴も居ないだろうし」
 部屋全体をぐるうりと見回したウタは不思議に思う。何故この部屋は仄かに暖かいのだろう。息が白くない。それに丸い天窓がひとつ上の方にあるきりで照明器具は無いのに足元は爛々と輝いて良く見える。翌々考えてみれば先程から咥内にある空気の味が多少違う。これが雲雀の言う魔力濃度の高い空気だとすれば納得がいくのだが、今迄魔法とは無縁の存在だったウタには理解し難い。
「先刻っから独学で独学でって言うけど、他に人は居ないの?」
「言ったろ、結界敷いてあんだ。一般的な魔力層の奴等かそれ以上の奴は弾く仕組みに成ってる。まさかそれ以下の魔力質を持った奴が来るとは思わなくってよ」
「なら如何してクヴァルダの事を詳しく知ってるの? クヴァルダの人間は魔力と接しないで生きてく人間ばかりよ。そのアンタが言う一般的な魔力層って奴からは懸け離れてる人間ばかり。アタシ以外の人間が今迄此処に来なかったって言う説明には成らないわ」
「俺は塔の結界を任されてるが国の結界は全て王子が張ってる。王子の結界は月を割る時だけ多少緩む程度で後は寝てる時も起きてる時も他者の存在を許さない。俺に言わせてみれば何でおまえが侵入出来たのか不思議で成らねえ。おまえ、王子から特別扱いされてんじゃねえのか? 嗚呼、何で人間が来ないのに情報を知ってっかって話はおまえには理解し難いだろうが、此処等辺では魔律が一般的に走ってるから残留思念から情報を読み取るなんて訳無えんだ。さ、これでおまえの質問には全部答えたぞ。他は?」
 ウタの頭の中に浮かび上がる質問に様々な角度から返答していく雲雀は、ウタの知識の何倍も有しているかに見えたが、その笑い方には疑惑と猜疑が渦巻いた。もしかしたら雲雀は他の人間と言うのを見た事が無いのではないか。普通の人間の笑い方を知らないのではないか。そうじゃないとこんなに見本通りに微笑む事なんて出来やしない。美しく艶やかに笑むのは、仮面を付けている様だった。見た事の無い誰かに指南されている様だった。ウタはその笑みに寒気さえ感じたのだった。
「王子に特別扱いなんてされてない。アタシ、王子に酷い事言ったもの」
「何て?」
「アタシが目覚めなかった日に、……アンタ達に言わせれば魔力に中った日に、術師が一人死んだの。アタシの代わりだって王子は言ってたけどアタシにとって魔法使いが死ぬ事は国の大問題に発展し兼ねないと思ってたの。だってアタシの為に有能な術師が死んだのよ。それを如何して素直に喜べるのかしら。王子だって喜んでる風には見えなかったし、いつも通り料理に毒は盛るし、だからアタシ怒鳴ってやったの。……王子は何も言い返さなかったわ。いつも通り、無表情で居るだけ。でもそれから、王子は食事に毒を盛るのを止めたの。だからアタシ、その時嫌われたんだわ」
 今迄城に居て、誰にも話さなかった真実が其処には詰まっていた。ウタは個人で悩んでいたのだ。自分に接する王子の態度の変化に対して気付いていたのだ。ウタがどんなに酷い事を言ったのか雲雀には想像もつかないが、今迄誰にも相談する事が出来なかった件を初めて告白され、ウタの頭は真っ白に成った。雲雀は真剣そうにその話を頷きながら聞き、真摯に受け止めた。それは、噂好きの女の反応でも、王子を護る兵士の反応でも、料理を作る厨房の人間の反応でも、政治を司る大臣達の反応とも全く違っていて、ウタは思わず「ごめんなさい……」、と消え入りそうな声で呟いた。
「それって、呪いだな」
「……呪い?」
「言った方も言われた方も傷付く、それって立派な呪い」
 鼻の奥がつんっと強く痛んだ。何故か救われた気さえしたのはまぼろしだと思いたい。王子が傷付いたか如何か等確かめる術は何一つ無いのに、雲雀は何故王子の事をそんなに理解しているのだろう。ウタの事も理解している様だ。なのに彼は塔から一歩も外に出ようとはしない。一歩も出ない。塔の中で結界に阻まれて暮らしている。何故? 泣きじゃくるウタは新たなる疑問に答えを見出せずにいた。でも救われる。呪いだと仮定付けられると、自分も傷付いたと言われれば被害者ぶれるから安堵する。どす黒い感情が競り上がってくる感じがして、ウタはひっひっと嗚咽の中で呼吸をしながら自分を呪った。
「幸運にもその呪いを解く方法がひとつだけ在る」
 雲雀は紛い物の笑顔で美しく微笑んだ。



花盗人の恋




『良いかい、ウタ。人を呪ってはいけないよ。呪いは掛ける事が出来るが治せない病みたいなものだからね。いいや、それより強い気持ちだ。魔法使いは人を呪わないんだよ。人を呪うのは呪術師だけさ。呪いは人を幸せにしたり不幸にしたりするが、大体は掛けた側も掛けられた側も不幸に成ってしまうんだよ。だからね、ウタ。おまえがもし魔法使いに出会ったら、』
 あの時、父は何と言いたかったのだろう。
 朧げな記憶が脳裏に焼き付いて離れない。幼少の頃の記憶と言うのは曖昧で、悪い意味で美しく入れ替えてしまう。都合の好い様に掻き乱され、真実を霧で隠してしまう。もしかしたら父は魔法使いに会うな。と言いたかったのかも知れない。魔法使いは人を呪わないかも知れないが人は人を呪う。人は我が身を呪う。その強い気持ちが呪い持ちに成る原因だとすれば、誰しもが呪術師と同様の存在だ。

「知っている通り王子は呪い持ちだ。あれを生まれ付きの特異な才能と取るか、生まれながらにして呪われた子と取るかは人それぞれだが、少なくとも俺は呪いだと思う。俺が専攻してたのは召喚術だが、召喚を遣るにあたって必要不可欠な言語があった。古代ハーグルーブ語だ。古代文字はそのものに力が宿っていて魔力を有している。奇特な魔法使いは先ず古代文字を専攻するだろうな」
「それが呪いとどんな関係があるの?」
 学が無い訳ではなかったが、魔法とかそう言った分野の難しい言葉は良く分からなかったし、自分には関係の無い話だと常々感じていた。だって自分は魔法使いじゃないから。魔法使いにも成れないから。自分には魔力がちっとも無いのだから。それを自分自身が痛感しているのだから。
「まあ、待て。俺の話を聞け。古代文字と呪いには交わる点が幾つかある。王子の行う月を割る行為は魔法だが、根は呪いだ。月を割って月が生み出すものを食わなきゃ死んじまうっつー呪いだろう。王子に呪いを掛けた相手は知らん。知ってたら総出で草の根分けてでも探し出すだろうな、この狂った国の場合」
「……狂った国って同意するわ。アンタ達には悪いけど」
 雲雀はからからと軽快に笑った。
 王子とは別物の、何か精巧な人形を見ている気にさえ成ってしまう。
「悪いもんか、寧ろ光栄だ。嫌ってくれるってのはそれ相応の気持ちがあるって事だからな。渦中に居ながら何も感じない王子とおまえはやっぱり違う。それを王子も分かってんじゃねえのか、無意識で。魔法使いには表と裏の二種類ある。呪術師はその裏に当たる。呪いを掛ける側だな。これが又面白いもんで、呪いを自分で掛けといて解けない術師も居る。そんなのは半端もんだが、呪いを掛けられるだけで畏怖されんのは確かだ。古代文字の多くは人を呪った戦争から生まれている。呪いは人間にとってある種の歴史と化している」
 魔法使いと言うのは皆こんなに小難しい事を日々考えて過ごしているのだろうか。魔力や魔法と接するのはそんなに精神や神経を極限迄磨り減らすものなのか。ウタは雲雀の話す言葉が不可思議な呪文の様に聞こえてきて眉を顰めた。雲雀が如何言う人間なのかと言うのは然程興味が無い。だが雲雀の持ち得る知識には興味がある。ずっと塔の中で生活している人間が外界の人間と接した時どの様な事に成るのか、ウタは未だ知らない。雲雀だって初めは分からなかった、こんなにも外界に興味があるなんて。
「アタシ、分からない事があるの。自分で呪いを解けないのに如何して呪いを掛けるの? だって、魔法の仕組みとか良く分からないけど制約と誓約からきちんと構成されてるものなんでしょ? だったら呪いを学ぶ時に一緒に解き方も習わないかしら」
「裏の魔法使いは正規のルートを踏んでねえからちゃんと習ってねえだろうな。で、此処からが問題だ。呪いの一番単純な解き方は、呪った本人が解く事だ。これには王子は既に当て嵌まらない。王子には今迄幾百と術師が呪い解きを遣ったが未だに月を割ってる所を見ると成功してないらしいな。其処で、おまえが最近王子を呪った言葉について、その言葉を覆す魔法が存在する」
「え、ちょっと待ってよ。アタシ、魔法使いじゃないし、第一呪おうとして呪った訳じゃないし、それに呪術師でも呪いを解けない呪術師が居るんでしょ? それが如何してアンタに出来るの?」
 如何にも頭の回転が付いていかない。小賢しい真似は得意じゃないし、魔法使いの気質を兼ね備えていないウタには雲雀の言う事が理解出来ない。言葉として認識してはいるものの、何か巨大なものにぶち当たっている気がする。
「それは俺が呪いを解く方法をたったひとつだけ知っているからさ」

『だからね、ウタ。おまえがもし魔法使いに出会ったら、こう聞くんだよ。
 あなたは呪いを解ける唯一の方法を知っていますか』

 信じろと言う方が無理がある話だった。元よりこの話には矛盾が生じている。
 呪いを掛けた術師が居るのは確かだった。王子は確かに呪い持ちだ。あんなに魔法に秀でている王子が自分自身に掛けられた呪いを解く事が出来ないのは専門外なのだと思っていた。王子は自分の呪いが自分で解けない。誰の手を使ってでも解けない。それが王子の呪いなのだ。対して塔に閉じ篭っている雲雀は言う。自分は呪いが解ける、と。雲雀の言っている呪いはウタが王子に仕出かした事の埋め合わせの呪いなのだが、雲雀の手に掛かれば王子の月割りの呪いも解けるかも知れない。そんな御伽噺だった。だったら直ぐにでも塔を飛び出して王子の下に行き、王子の呪いを解いて祝福を浴びればいいのに。ウタはそんな疑心暗鬼の視線で雲雀を見据えた。
「馬鹿じゃないの。だったらアンタが呪いを解けばいいじゃない」
「俺は塔、塔は俺。俺が塔から降りれば塔は粉々に砕けるだろうな」
「じゃあ王子を塔に呼べばいいじゃない」
「結界の所為で王子は塔に入れない」
「なら塔なんて壊してしまえばいいのよ!」
「クヴァルダ生まれのおまえには分からんだろうが、塔っつーのは魔法学で封印を表す。つまり王国の魔力供給を常に一定量保つのにこの塔が一役買っているんだ。塔が無くなって一番困るのはやっこさん自身だ」
 塔から出る事が出来ない雲雀、塔に入る事が出来ない王子。そう言われてしまえば二人の接点は無くなってしまう。今迄は、の話で。今はウタが居る。ウタが二人の接点に成っている。間違いなく三人は繋がっている。点と点はいつしか線に成る。それは余りにも出来過ぎた偶然だった。必然と言っても相違無かった。
「……分かったわ。その方法をアタシに教えて! そうすればアタシが塔から降りて王子に掛けてくるわ!」
 ウタは少々後ろ髪を引かれながらも意気込み、拳を握ってその答えを待った。魔力が薄い自分にも出来る事があるかも知れない。それは王子の鼻っ柱を折れる次第かも知れない。元より王子にぎゃふんと言わしたくて上ってきた塔だ。降りる際には呪いを解く方法を手に入れていたらなんて素敵な事なのかしら! 競り上がる感情を前にしてウタは雲雀の胡散臭い笑みに又もや騙された。だって呪いを解く方法がそんな方法だったなんて、憂いを通り過ぎて空いた口が塞がらなくなるから。

「愛だよ」



蕾はいまだかたく




「ちょ、ま、え、なに、嘘、え、愛って、あの、……愛?」
「昔から呪いを解く方法は信じる心と愛の力って相場は決まってる。ほら、俺には無理だろ?」
 いやそれは無理だけど、無理に違いないんだけど、それをアタシに頼むのは一寸お門違いも良い所じゃないの。無理矢理意気込んで先に承諾してしまったアタシもアタシだけど。
「――……あい?」
 ウタは鈍い回転に成った頭を抱え込む様に蹲った。あい? あいしてるとかの愛? それが呪いを解く方法? そもそもそんな古典的な手段で呪いが解けるのならば、否、相手はあの、あの王子だ。愛とか友情とかそんなものとは疎遠で無縁で生きている王子の事だ。今迄呪いが解けなかった訳も分からなくもない。国王は失踪しているし王妃は目覚めぬ儘だ。ウタが侵入者として遣って来た一年前から何も変わってはいない。唯、王子の傍にウタが居て、罵声とも取れる口喧しいウタのお節介を王子が淡々と受け流すだけ。
「それしか無いの?」
「俺はそれしか知らん」
「それって、こう、アタシから、他の人に伝えて、他の人に遣ってもらうとか……駄目よね、駄目だわ。今の今迄恋人のこの字も見つからなかった王子だもの。そういう弱い相手とか絶対居ない。居たらアタシが弱味を握ってる筈だもの。……アタシ、分からないわ。本当にそれが呪いを解く方法?」
「酔狂な事が好きな王子が、わざわざ嫌いな相手を生かしておくと思うか? ま、唯殺してもつまんねえから生かしてる場合もあるが、一年だぞ、一年。一年も嫌いな相手と接して過ごせるか?」
 正しくは事件が起こる前の三月の間だけ口喧しく王子の周りをうろついていたのだけれど。とウタは口篭り、確かに王子の性格から言って唾を吐き掛ける程嫌いな相手だったら即獣と遊ばせるか晒し首にしたり妙ちくりんな魔法を掛けたり動物に変えてしまっている筈よね。と自分を弁護した。唯、自分は王子に酷い言葉を浴びせてしまったから王子には酷く嫌われているのだとウタは思っていたし、ウタ自身、そう言った恋心とは暫く疎遠に成っている。初めは王子を殺そうと思ってこの国に乗り込んできた。安い同情を前にしたらどうしようもなく狼狽した。王子の瞳の中の絶望が忘れられない。全てから拒絶され、全てのものを拒絶したあの眼。
 ウタは云々と唸り始めた。呪いを解く方法は本当にそれだけなのだろうか。そしてそれを実行出来るのは自分だけなのだろうか、否、自分だって本当に出来るのだろうか。愛ってなに? 雲雀には無いのだろうか、兄弟愛とかその辺の、……無さそうだ。兄弟愛とかあったら初めから塔を雲雀に任せる事なんてしないだろう。一生会えぬ仲に成るのにそんな事はしない。雲雀が塔を出たら塔は崩れる。塔が崩れればこの国の魔力は均等を保てなくなる。魔力が均等を保てなくなれば結界が薄れる。結界が薄れれば他国と戦争が始まる。雲雀に塔を預けているのが王子の信頼の証であれば、それは相当捻じ曲がったものだろう。即ち王子を取り巻く一般的とは懸け離れた、愛、と言う存在も不確かなものだ。
「そもそも、アタシ、王子の事、」
「これだけ王子の事心配しといて、好きじゃねえ。なんて野暮な事はよしてくれよ。おまえだって嫌いな相手と一年間も一緒に居られるのか? いつか敵国に成るかも知れねえクヴァルダ出身のおまえが」
 うぐ、と言葉に詰まってウタは又考え込む。
 こんなにも狂った国で狂った人間と接しながらもう一年が経つ。好きか嫌いかとその点を問われた事は今迄無かったものの、自分だって本当に嫌いな相手と一年間一緒に過ごせる筈も無い。虫唾が走る程嫌いな相手ならさっさとおさらばして自国に帰っている筈だ。だがウタはもう一年もこの国に居る。自国には自分の父も母も生きている。なのにこの国に意固地になって留まっている理由はと言えば、
「『三つの点はいつしか線と成り、それ等を貫いた』」
「なにそれ」
「この国に伝わるまじないの一種さ。そう言ったものは何処にでもあるだろ。おまじないだったり聖句だったり親から教わる魔法だったり。意味さえ知らなかったが漸く解けた。最後のピースはおまえだ、ウタ」
 王子と似たようなつくりをしている雲雀の顔のくちびるから発せられた自分の名前にどきり、とした。王子はウタの事を名前で呼ぶ事は決して無い。それは唯単純に名前を呼ぶのが面倒臭いだけであり、本人同士も、「おまえ」、「アンタ」、で罷り通っている会話の為に名前なんて呼ぶ機会は滅多に無い。そう言えば声も何処と無く王子に似通っている。矢張り兄弟だからなのだろうか。まあ、王子がそんなにべらべら喋る人間でも無いので、声なんて不確かで良く覚えていないのだが。

『ある国に男が居た。男は魔法に秀でていたが呪い持ちだった。ある地方に女が居た。女は魔法を知らなかったが心を持っていた。ある塔に男が居た。男は魔法を封じ込める力を有していたが使う機会が無く、そして更に呪いを解く方法を一つだけしか知らなかった。三つの点はいつしか線と成り、それ等を貫いた』



きみに捧げる




 塔を降りたウタは一心不乱に寒空の中をひた走っていた。
 その頭の中にでかでかしく存在を確立しているたった一文字の言葉が如何にも理解不能だ。意味は知っている。でも分からない。分からないと言うのは人間にとって恐怖に他ならない。ウタはその言葉に畏怖の念さえ抱いた。それと王子と自分を組み合わせると何かとんでもない魔法を暴発させてしまったかの様に感じられた。身体の芯迄冷え切った寒空の下を、手を擦りながら白い息を吐いた。
『三つの点はいつしか線と成り、それ等を貫いた』
 自分の事は結構猪突猛進派だと痛感しているウタは、人々が口にしているまじないの言葉を初めて聞いた。雲雀に教えてもらったのと全く同じだ。白い息を吐きながら、防寒具に身を包んだ親子が仲睦まじそうにそう唱えている。『三つの点はいつしか線と成り、それ等を貫いた』。これが此処の国民に伝わるまじないなのだろうか。城に向かって祈る様にそう言い続けている。ウタは不意に思う。この国の人間達は王子の為に平気で死ねる。女一人救う為に平気で命を投げ出す。命を重んじるウタにはそれが分からなかった。ウタは生きたいと願う。長くなくていい、短くてもいい、出来れば長い方が良いが、充実して精一杯生きたいと願う。でも。もしも王子の為に死ぬ事がその人の栄光であれば、文句を吐いておこがましいのは、自分だ。わざわざ生かして貰ったのに文句を言っている自分は、王子から見れば大変高飛車な女に違いない。

 ウタは呟く。愛。愛とは何だろう。王子にとって愛とは何だろう。自分もそうだが、良く知らないのだろう。けれど、王子が触れるものは命だろうが司る時間だろうが止まる。それは呪いだと雲雀が言っていた。王子は月が生み出したものを食べて不老不死を手に入れている。撃っても刺しても毒を飲んでも死なない王子は、国王と王妃の愛情を知らずに育った。それどころか憎しみの的として今迄育ってきたのだから、そしてその王子を殺そうと自分も企んでいたので分が悪い。王子を愛する環境は今の今迄存在しなかった。何にも触れられぬ身体は冷え切っているに違いない。刺客を殺して生きている王子には血の絨毯しか見えないのだろう。ウタには王子の絶望が分からない。でも分かる事がたったひとつだけ、たったひとつだけ、在るとすればそれは、

 警備兵の横をすり抜け、城の一番奥の部屋の扉を開ける。其処には止まった空間が広がっている。
「ただいま。」
「おまえの帰る国は此処じゃねえ」
「叩いてもいいわよ、殴ってもいい。でもアタシ、もう少しだけこの国に居るわ」
 ぞわっ、と空気が波打った気がした。これが魔力と言うものならば魔力なのだろう。ウタには分からないが、魔力が変化したとすればそれは王子の心が何かで乱れた証なのだ。何かが波を立てた証なのだ。ウタは胸を張りながら鼻をふんっ、と鳴らした。魔力を感じ取った雲雀が声を立てて笑った。


 塔の奥で眼鏡を掛けた男が微笑む。「始まった」、そう言いながら。今漸く始まったのだ。長い長い年月、待ち焦がれていた胸に秘めた野望が今漸く始まりの鐘を鳴らした。これからこの国は荒れる。激動の日々が続くだろう。始まりの鐘が高々と鳴り響いている。



 お借りしました( http://tky.iza-yoi.net/

2007/12/07